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男子旅人、女子旅人 共に被写体募集中。

この2年ほど、旅人さんの写真を撮らせていただいています。元々は、頻繁に更新しているよう見せるためにとりあえず「写真を撮っておけ!」という安直な気持ちで始めたのですが、存外に被写体になってくれた旅人さん達に評判が良く、飽き性の私にすればよく続いていると思います。

「男子は元気よく、女子はかわいく」というを単純なモットーで始めました。女子は声をかければ撮影させていただけることが多いのですがしかし男子はなかなか(気持ち悪がって)声をかけてもいやがられます。

さて全くの私論ですが、人を撮る意味はどういう意味でしょうか?それは撮影者と被写体の対決の結果こぼれ落ちるなにかなのです。つまりどれだけいい機材を使って写真をとっても、どれだけ容姿がすぐれていても、それでは掴み切れない何かがどうしても写真として現れるのです。それを個性とだけ言えば非常に薄っぺらい(・・・)そう少し難しい言葉でいえば実存、一言でいうと生き様とか未来への志が写らざるを得ないのです。

また、私自身に関しても、どうしても撮影には、私の人間性が発露せざるを得ないのです。つまり少し大げさに言えば私の今までの生き様の一つが写っていくような気がします。

つまり結局は撮影とは、人間性と人間性のぶつかり合いなのです。撮影の技術以上にそこではとらえきれない何かが写ってくのです。

まだ私はカメラに関しては初心者で学ぶべきことが多いですが、少し技術を覚えると写真の技術以上のものが大事だとほんの少しわかってきました。

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と小難しいことを書きましたが、要するに撮影させていただける旅人さん、男子、女子関係なく募集中です。

 

 

怪談ナイト@ゲストハウス無我 終了

先ほど、ゲストハウス無我で怪談ナイトが終了した。本を朗読したり、参加者の体験談を話したりすることで会は進行する。主催の水無代氏や劇団に所属しているN女史の朗読の技術は目をみはるものがあり、また蝋燭のみの照明は、雰囲気をさらに盛り上げてくれる。

私も正直なところ怪談はというか怖いお話は苦手なので遠慮して別の部屋に行こうとしたが、一応オーナーということで同席することになった。そこで気が付いたのは「怪談」というのは単にコワイお話ではないのだ。

怪談の効用とは、なにか?それは疑似的に「死」に直面させ、各々の実存を再確認する場である。霊という一見、荒唐無稽な概念は、普段我々が「死」ということを忘却しているが故に荒唐無稽なのである。宗教学、哲学、歴史学などの人文科学の目的が生の解明だとすれば、怪談は、霊の恐怖という感覚的な手段を用いることにより、生のありようを学問とは別の方向で解明することなのだ。

霊には「愛欲」「怨念」「恨み」「未練」が発生源になる。すなわち徹底的にマイナスの感情が原因なのだ。しかしそれは誰にとっても他人事のお話ではない。むしろ誰しもが経験するような感情なのだ。少なくともと私の友人に関しては、このようなマイナスの感情を持っていない人を知らない。もしこのようなマイナスの感情を持ったことのない人がいれば、その人と友として語るに足りないであろう。

最後に参加者のN女史は言った。『元の世界に戻るために「下ネタ」を語りましょう。』 「りっしんべん」の「せい」は、「せい」は生きることにつながる。まさしく「死」と反対の「生」の概念を表す。そうなのだ、彼女のいうとうり我々は日常の世界に戻らなければならないのだ。死を常に意識の俎上に載せるのは、日常生活には、重荷すぎるのだ。

 

一枚の切符から。昭和58年11月3日 その二

 

(続き)  さて、旅の計画である。いまならスマフォ片手に到着予定時刻を入力すれば、いいがその当時はそんなものはない。あるのは時刻表のみである。時刻表を使ってレポート用紙に書くのである。もちろん特急、急行なんて使わない。列車を一つずつ書き出して一々接続を確認するのである。その当時の田舎の普通さて時刻表をよむと6時44分発の福知山行の気動車列車に乗ることに決めた。5時25分発の浜田行の客車列車に乗りたかったが朝が早すぎることで却下したと思う。で綾部で福知山発敦賀行の客車列車に乗り換え、西舞鶴で豊岡行に乗り換え丹後山田で加悦行に乗り換え。だと記憶している。

早朝の京都駅山陰線ホームは、昭和末期なのにまだ昭和40年代の雰囲気が残っていた。中学生だった私にもそう感じた。一番線ホームでは特急列車を特別急行とアナウンスする声も聞こえた。大きい駅だが山陰線ホームは、端に追いやられた感じですでに裏日本の風情だった。留置されている車両は新しくても昭和30年位までに製造された車両(43系)で中には戦前の車両もあった。
狭いホームに小荷物を運ぶリヤカーが多数あり、それがまた余計に狭さを感じさせた。最果てようなホームの端に立つと線路が延々海沿いの幡生まで続くと思うと不思議な気がした。そしてそのうち80キロしか乗れないと思うと残念な気になった。

このホームに比べると乗る車両は、キハ47という比較的新しい車両、(現在でも播但線あたりで改造車が走っている)と思うが、で4両か5両を連ねていたように記憶している。車内は独特の匂いがした。この当時はこれが鉄道の匂いなんて思って自分の夢の空間なんて思っていたが、なんのことは単なるタバコの匂い。世の中全体が禁煙になった時そう気が付いた。そうそうその当時の国鉄はタバコは吸い放題だった。席は四人掛けのボックスシート。一人で陣取っていると京都駅出発直前にオバサン三人組が乗り込んだ。

今時の子供は「知らない人としゃべらないようにしましょう!」という教育がなされているがこの当時は、「変な人としゃべらないようにしましょう!」程度だったと思う。まあ、今ほど神経質ではなかった。人を見ると悪人だと思え!なんて教育はされていなかったと思う。だからボックスシートで乗り合わせた人ともよくしゃべったと思う。それが世の中の標準だった。

そのオバサン達は、私に声をかけた。三人で小浜まで行くという。乗り換え含めて西舞鶴まで一緒。なぜか1)住んでいるところから、2)学年から、3)親の職業、4)親の年収、5)学校生活は楽しいかとか、6)好きな女子はいるかとか、7)その名前は、とか事細かに聞かれたと思う。今から考えると不躾なオバサンだと思うが、くそバカ正直な私は最後の質問以外は真面目に答えた。「答えは1)京都市山科区)中一3)コームイン4)本当に知らない5)楽しくない6)いる7)ホゲホゲ」

園部駅の旧客留置を見ようと持っても話に付き合わされるし、綾部駅の貨物側線の配線を眺めようと持っても好きな女子の話を強制される。綾部駅からの乗り換えはDE10牽引の旧客の編成! その当時 しかも戦前の茶色のニス塗りの車両が二両も連結されている。もっとDE10の旧客を堪能したかったのだが、なぜかオバサンに付き合わされ、おにぎり等を頂く。

西舞鶴に到着。ここから豊岡行に乗り換える。編成はキハ26+キハ47+キハ58・・・。ちなみにキハ58はトップナンバーと記憶している。左手に由良川を眺める。由良川は水量が豊富で雄大だ。東雲という駅がある。今であれば非日本的な景色に日本的な名前の駅なんて、判ったようなよく判らない感想を持つところだが、ガキであった私にとっては、55系(キハ26)と58系の乗り心地の違いを体感しようとして前の車両にいったり後ろに戻ったり、キハ58のトップナンバーにコーフンしたりしていた。また天橋立か宮津で特急あさしおの通過待ち。当然コーフン。観光よりも鉄分!(実際には台車が同じ形式だからそんなに違いはないはず・・・。

丹後山田に到着。いよいよ加悦鉄道に乗り換え。目指すはキハ10。別のホームに止まっている。国鉄と同じ色だがツートンカラーの肌色の部分が白く塗られている。車内は狭く感じる。それは軽量化の技術が進んでいなく軽くするには、車体のサイズを小さくするしか方法がなかったのだろう。シートはボックスシートなのだが背もたれが直角。そしてビニール張り。もちろんバス窓もしっかり眺める。不愛想な車掌氏から車内補充兼を購入。乗客は地元のオバサンが数人と荷物が少々。鉄道ファンの姿は、なかった。よいよ動き出す。といっても少し加速して30km/h程度の速度。その割にはよく揺れる。レールの長さも10メートル前後の短尺の線路ではなかろうか?途中に止まる駅もボロ屋を通り越して掘っ建て小屋。途中の駅では、交換施設の跡が有り。とにかく沿線の駅はボロかった。というか全く異次元に来た感じがした。だから今の人のレトロ調なんて言葉って今の私にとって全く薄っぺらく感じる。

加悦駅に到着。これで旅の目的は終わったことになる。そこに加悦SLの広場という博物館らしきものがあるので行ってみることにした。博物館といえば聞こえがいいが、単に駅構内を250円払って自由に歩けるようにしてあるだけであった。申し訳程度にタイガーロープとなぜか万国旗が張ってある。今から考えればいいセンスだとおもう(?!)がレジャー気分を盛り上げる(?!)為に貼っているのであろう。蒸気機関車のC57とC58と二号機関車などの古典ロコ。バケットカーのキハ51とキハ101、それからキハ08などのディーゼルカー、あと倉庫代りの木造貨車など見ていたような気がする。

そのあとの記憶がはっきりしない。バスに乗って丹後山田駅までいって急行列車で帰った気がするがよく思い出せない。まあそんなことはどうでもいい。印象に残ったことしか記憶に残らないのだから。

 

一枚の切符から  昭和58年11月3日 その1

ゲストハウス無我には、実家から持ってきた一冊のスクラップブックがある。宿主がフグ―な中学生、高校生の時に集めた切符である。少しだけ自慢話をすると切手屋から購入したようなものは一枚もなく、それらの切符全てが自分で乗ったかあるいは、知人友人にいただいた切符である。

ここで若い人にために解説をしとくと、切手屋というのは郵便局の事ではない。記念切手や古銭等を扱っている店である。でそのついでに古い切符を販売していたのである。その多くがホゲホゲコインスタンプ等という名称であり、どこの街にも一軒位はそんな店があったような気がする。

そこの店の人というのは、大抵、ボロボロの店に、愛想なしのジイさんがやっているのである。今時の若い人だったら「古いお店で素敵、オシャレ」とは思うかもしれないけど、若き日の宿主からみたら単なるアバラ家に、やる気はないけど強欲な老人がいる不思議な空間に見えたのである。我々は「クモの巣が張っているお店に、頭の中にクモの巣が張っているジイさんがやっている。」とへらず口をたたきまくっていた。少し擁護しておくとおりしもその当時、子供の間で切手集めが流行っており、切手屋に駄菓子屋感覚でガキが大挙して押しかけ、でかい声で騒ぐだけ騒いで売上0で帰っていくのだからジイさんの機嫌が悪くなるのも当然だろう。

閑話休題、さてこのブログではこのスクラップブックを頼りに宿主の記憶を呼びおこし、友達のいなかった、もとい、学校生活からはなれた若き日の宿主の旅日記を書いてみたいとおもう。

昭和58年11月3日 山科から天橋立 宮津・丹後山田間行

中学一年生の時、加悦鉄道を訪問した時の切符である。なぜ加悦鉄道だったかは明確に記憶がある。それはその当時すでに国鉄線から姿を消したキハ10に乗ろうとしたからである。もう少し正確にかくとバス窓を見たかったからである。バス窓というのは、一見上下二段の窓なのに、上段はHゴムで小判型に固定され、下段だけが上昇する窓の事である。おそらく工程の簡略化と車内の採光を考えた設計であろう。ちなみにその当時のごくわずかにいたバスオタからは、このような形状の窓をディーゼル窓と呼んでたらしい。いずれにせよバス窓はすでに時代遅れの形式で、鉄道では、昭和32年で製造が止まり、バスでも宿主が過ごしていた京都でも昭和50年代前半では姿を消していたと思う。

さて、旅の計画である。いまならスマフォ片手に到着予定時刻を入力すれば、いいがその当時はそんなものはない。あるのは時刻表のみである。時刻表を使ってレポート用紙に書くのである。もちろん特急、急行なんて使わない。列車を一つずつ書き出して一々接続を確認するのである。その当時の田舎の普通列車の国鉄のダイヤは、今と違って本当に利用者に親切ではなかった。接続が悪いなんて生易しいものではない。平気で乗り換えの為に一時間待ちなんてザラだった。ひどい場合は乗り継ぎたい列車の発車時間が乗ってきた列車の数分前という事例も散見された。とにかく不親切というか自分の都合ばかりを優先したダイヤだったのである。 そんななかで計画を立てるのである。山陰線のページを開き京都からこの列車に乗ると綾部に〇〇:〇〇について、で舞鶴線のページを開き〇〇:〇〇に乗って・・・ということをレポート用紙に書いていくのである。

(・・・)とオッサンになった今から言えばそうなるが、中学生のころはそんなことは全く気にならなかった。むしろそれを楽しんだ。メモを書き連ねていく内にひとつづつ世界が拡がっていく気がしたし、それが自分だけの秘密をもったような気もしたからである。また鈍行だから不便なのは当たり前だった。そんなことで少なくとも旅人で文句をいうなんて考えられなかった。その当時は田舎の駅でも相応以上の広さを持ち、時間待ちの間、配線や貨車の入れ替えを見るだけで楽しかった。列車の待ち合わせで反対列車を見るのも楽しかった。反対列車の車両をみて郵便室や荷物室がある合造車が連結されているのを見るとそれだけで羨ましかったりもした。

(続く)

ソトコト六月号に掲載

鶴見俊輔によると全ての子供に論理学のみを学ばせることを主張しているらしい。また爬虫類の進化は酸素濃度で決定的な要素らしい。あと生物の代謝の化学式、光合成の化学式はすごく複雑で覚えられない。あとソトコト六月号(5月2日発売)を蔵書に追加。ゲストハウス特集で無我が出ているらしい。・・・ってウレシイくせに回りくどいこと書いていないで5月2日発売のソトコト6月号にうちが載っています。編集部の皆様、ご協力いただいた皆様ありがとうございます。

お客様?人生の後輩?

3月半ば、これから大学生になる旅人さんが2泊3日でお見えになりました。2泊目の夜10時、まだ帰って来ないと思っていると携帯が鳴る。
 疲れた声で「駅まで迎えに来てほしい」とのこと。迎えに行くかどうか迷ったがまあお客様のいうことだし、まだまだ寒いということもあり、駅まで迎えに行くことに・・・。

疲れているし、万一のことを考えると車に人を乗せることは出来れば避けたいし、そもそも公式のサービスじゃないし、客商売をやっている人はワガママをいったらなんでも聞いてくれると思われるのも癪だし、と思いつつ旅人さんを宿に連れ帰ると、「ありがとう」の一言もない・・・。むしろ不貞腐れているようにも見える。

ここで普通であれば、「ちょっとそこに正座で座れ!」と説教モードに入るのだが、これでも一応は経営者。しかも予約サイトの(同業者の間では悪名が高い)B社を通じての予約。B社のお客様は、口コミを書くことが大好き。ここで頭の中で葛藤が

1)「いやー、〇〇さんもお疲れですからね。全然大丈夫ですよ。」
2)「ちょっと君、『ありがとう』位言いなさい!」

と2つのセンテンスが頭に浮かぶ。

1)でも経営的に見たら必ずしも間違った回答ではない。これでサービスがよい宿という口コミがでたら、それだけ宿が評価されていることになる。誰かが言っていたけど「ネット時代『小さな親切、大きな下心』が大切」。だれしも情報を発信する時代、ホンの僅かな親切でネットの評価は上がるらしい。
まして一度B社の口コミには何回か痛い目にあっている。同世代の旅人さんに「観光地以外の見どころを教えろ」(直接話法)という問いに対して「自分で見つけてください」
「売上いくら?」(直接話法)という問いにたいして「税務所の人だったら教えてやる」
「固定資産税いくら?」(直接話法)という問いに対して「家賃いくら払っているの?」
と回答したら「ため口でムッとした」と目一杯悪口を書かれた経験がある。
閑話休題

でヘラヘラするのも問題だ。ましてこんな若者を放置しておくと、コンビニの店員さんにエラそうにしたり、ネットで文句を言えばなんでも我儘が通じると思い込んだり、サービス業に従事している人間は要求さえすればなんでも話しを聞いてくれると勘違いしたりする人が確実に一人増えることになる。

ていうか私が怒りで納得いかない。

「〇〇さん、なにか俺にいわなあかんことはないか」
「・・・(無言)・・・」
「こういう時は『ありがとう』と一言いっておくもの。それがたとえ心の底から思ってなくても」
「・・・(無言)・・・」
「高校卒業したての男の子で、俺みたいな40半ばのオッサンとしゃべるのも大変だと思うが、一言『ありがとう』といわなあかんで」
「・・・(無言)・・・」
「もう俺は言いたいことは言ったし、遅い時間なのでシャワーを浴びて、休みなさい」
彼は、無言でドミトリーへ。

翌朝、今時の言葉でいう「微妙な感じ」でチェックアウト。私も彼も何かバツが悪いのだ。私は口コミを気にしつつ館内の掃除へ・・・。

翌朝、旅人さんノートを見ると
「初めての一人旅、ゲストハウスというのもなんだかよく知らず『何とかなる』という気持ちで予約、結果『何とかなりました』でもそれは自分のおかげでなくwelcomeにむかえてくれた無我のおかげだと思いました。また機会があれば利用したいですし、その時は『ありがとう』を忘れないようにしたいです。」
と初めてこのノートを設置してよかったと思えるような書き込みが発見。

打楽器奏者 松本一哉氏のライブ終了!

3月30日に打楽器奏者の松本一哉氏のライブが開催されました。

スケジュールの都合で平日の昼間でしたがご近所の方のみならず遠方からお客様が駆けつけていただきました。

私にとって松本誌が作り出す音は全くの初体験の音でした。底なし沼から聞こえてくるような音、水の流れる様な音、・・・自然を模したという形容詞では生ぬるい、自然と一体になった演奏、いやもはや松本氏そのものが自然なのだ。

ディープ彦根

昨夜は彦根市の地域おこし協力隊員さん(移住担当の女性)と茶話会でした。

お互い移住で、彦根に来て彼女は3か月、我々は3年。それぞれ感じていることをベチャクチャ。

彦根の「ディープ」と「許容」がキーワードでした。

当地だけに限らず、古い町並みや商店街を歩くと「これが許容されているの⁉︎」と驚くことがあ

りませんか?それは、都会や画一的な量販店にはないディーブさ・個性なのですが、他の地から

入り込んだ者には理解し難いこともあります。その「許容」はどこから来るのか興味大です。

彦根市は江戸時代から続く町並みや商店街もあり、新興住宅地もあり、湖岸部もあり、山間部も

ある地域ですが、今我々が居住する古い町並み・商店街をどっぷり体感して他府県の方々に伝え

ていこう!という方向性になりました。地蔵盆、ゑびす講など古い風習も続いています。

まずは、、

ゲストハウス無我の町内の方々に協力いただき、『ご長寿さんによる人生相談』を開催します。

その土地のご長寿さんの人生観を伺って、ディープと許容を体感、もちろん自身のお悩みも解決

しましょう企画です。詳細は決まり次第お知らせしますので、お楽しみに。(のりこ)