懐かしの旅行記。切符を手掛かりに思いだそう! 初めての夜行列車。その1
夜行列車。現在は、その本数は片手で数えられる位だか私が中学生の時は、減ったとはいえまだ全国にそこそこの本数が走っていた。その中で目を引いた列車はブルートレインである。特に憧れの的は東京発の九州方面のブルートレインだった。
その理由を挙げると1)まず列車番号。長崎、佐世保行の「さくら」は1列車、西鹿児島行の「はやぶさ」は3列車という具合にいかにも特別な列車という雰囲気を醸し出していた。
2)ヘッドマークを取り付けた機関車。この当時はブルートレインといえどもヘッドマークがついているのは東京機関区の列車のみであった。全国のブル―トレインにヘッドマークがつくのは60年3月改正以後になる。
3)編成のバリエーション。東京発九州方面の列車のみに食堂車やA寝台個室などが連結されていた。都会のラッシュアワーの喧騒を横目に見ながら食堂車で優雅にハンバークを食べる姿を想像するだけでワクワクした。(ハンバーグが豪華と言うところが中学生www)またA寝台個室など別に乗車するわけでもないのに編成の中に窓割が違う車両を見るとコーフンしたように思う。
その次に来るのは、大阪発九州方面行のブルートレインだったと思う。「明星」「あかつき」「彗星」が該当する。同じブルートレインでも機関車にヘッドマークはなし、モノクラスで編成はB寝台のみ・・・。列車番号は二桁の番号だったように思う。一応プレミアム感はあるものの何か事務的というか、官僚的というか、サービス精神がないというか、素気ないとうか、淡白というか・・・。食事は新大阪あたりで駅弁を買い込み通路の椅子で大きな体を小さくして食べることになるのだろう。相撲でいうと幕内と十両、プロレスでいうとPWFチャンピオンとアジアタッグ。宿屋でいうとシティホテルとビジネスホテル位の違いに感じた。
(続く)