怪談ナイト@ゲストハウス無我 終了

先ほど、ゲストハウス無我で怪談ナイトが終了した。本を朗読したり、参加者の体験談を話したりすることで会は進行する。主催の水無代氏や劇団に所属しているN女史の朗読の技術は目をみはるものがあり、また蝋燭のみの照明は、雰囲気をさらに盛り上げてくれる。

私も正直なところ怪談はというか怖いお話は苦手なので遠慮して別の部屋に行こうとしたが、一応オーナーということで同席することになった。そこで気が付いたのは「怪談」というのは単にコワイお話ではないのだ。

怪談の効用とは、なにか?それは疑似的に「死」に直面させ、各々の実存を再確認する場である。霊という一見、荒唐無稽な概念は、普段我々が「死」ということを忘却しているが故に荒唐無稽なのである。宗教学、哲学、歴史学などの人文科学の目的が生の解明だとすれば、怪談は、霊の恐怖という感覚的な手段を用いることにより、生のありようを学問とは別の方向で解明することなのだ。

霊には「愛欲」「怨念」「恨み」「未練」が発生源になる。すなわち徹底的にマイナスの感情が原因なのだ。しかしそれは誰にとっても他人事のお話ではない。むしろ誰しもが経験するような感情なのだ。少なくともと私の友人に関しては、このようなマイナスの感情を持っていない人を知らない。もしこのようなマイナスの感情を持ったことのない人がいれば、その人と友として語るに足りないであろう。

最後に参加者のN女史は言った。『元の世界に戻るために「下ネタ」を語りましょう。』 「りっしんべん」の「せい」は、「せい」は生きることにつながる。まさしく「死」と反対の「生」の概念を表す。そうなのだ、彼女のいうとうり我々は日常の世界に戻らなければならないのだ。死を常に意識の俎上に載せるのは、日常生活には、重荷すぎるのだ。

 


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