一枚の切符から。昭和58年11月3日 その二

 

(続き)  さて、旅の計画である。いまならスマフォ片手に到着予定時刻を入力すれば、いいがその当時はそんなものはない。あるのは時刻表のみである。時刻表を使ってレポート用紙に書くのである。もちろん特急、急行なんて使わない。列車を一つずつ書き出して一々接続を確認するのである。その当時の田舎の普通さて時刻表をよむと6時44分発の福知山行の気動車列車に乗ることに決めた。5時25分発の浜田行の客車列車に乗りたかったが朝が早すぎることで却下したと思う。で綾部で福知山発敦賀行の客車列車に乗り換え、西舞鶴で豊岡行に乗り換え丹後山田で加悦行に乗り換え。だと記憶している。

早朝の京都駅山陰線ホームは、昭和末期なのにまだ昭和40年代の雰囲気が残っていた。中学生だった私にもそう感じた。一番線ホームでは特急列車を特別急行とアナウンスする声も聞こえた。大きい駅だが山陰線ホームは、端に追いやられた感じですでに裏日本の風情だった。留置されている車両は新しくても昭和30年位までに製造された車両(43系)で中には戦前の車両もあった。
狭いホームに小荷物を運ぶリヤカーが多数あり、それがまた余計に狭さを感じさせた。最果てようなホームの端に立つと線路が延々海沿いの幡生まで続くと思うと不思議な気がした。そしてそのうち80キロしか乗れないと思うと残念な気になった。

このホームに比べると乗る車両は、キハ47という比較的新しい車両、(現在でも播但線あたりで改造車が走っている)と思うが、で4両か5両を連ねていたように記憶している。車内は独特の匂いがした。この当時はこれが鉄道の匂いなんて思って自分の夢の空間なんて思っていたが、なんのことは単なるタバコの匂い。世の中全体が禁煙になった時そう気が付いた。そうそうその当時の国鉄はタバコは吸い放題だった。席は四人掛けのボックスシート。一人で陣取っていると京都駅出発直前にオバサン三人組が乗り込んだ。

今時の子供は「知らない人としゃべらないようにしましょう!」という教育がなされているがこの当時は、「変な人としゃべらないようにしましょう!」程度だったと思う。まあ、今ほど神経質ではなかった。人を見ると悪人だと思え!なんて教育はされていなかったと思う。だからボックスシートで乗り合わせた人ともよくしゃべったと思う。それが世の中の標準だった。

そのオバサン達は、私に声をかけた。三人で小浜まで行くという。乗り換え含めて西舞鶴まで一緒。なぜか1)住んでいるところから、2)学年から、3)親の職業、4)親の年収、5)学校生活は楽しいかとか、6)好きな女子はいるかとか、7)その名前は、とか事細かに聞かれたと思う。今から考えると不躾なオバサンだと思うが、くそバカ正直な私は最後の質問以外は真面目に答えた。「答えは1)京都市山科区)中一3)コームイン4)本当に知らない5)楽しくない6)いる7)ホゲホゲ」

園部駅の旧客留置を見ようと持っても話に付き合わされるし、綾部駅の貨物側線の配線を眺めようと持っても好きな女子の話を強制される。綾部駅からの乗り換えはDE10牽引の旧客の編成! その当時 しかも戦前の茶色のニス塗りの車両が二両も連結されている。もっとDE10の旧客を堪能したかったのだが、なぜかオバサンに付き合わされ、おにぎり等を頂く。

西舞鶴に到着。ここから豊岡行に乗り換える。編成はキハ26+キハ47+キハ58・・・。ちなみにキハ58はトップナンバーと記憶している。左手に由良川を眺める。由良川は水量が豊富で雄大だ。東雲という駅がある。今であれば非日本的な景色に日本的な名前の駅なんて、判ったようなよく判らない感想を持つところだが、ガキであった私にとっては、55系(キハ26)と58系の乗り心地の違いを体感しようとして前の車両にいったり後ろに戻ったり、キハ58のトップナンバーにコーフンしたりしていた。また天橋立か宮津で特急あさしおの通過待ち。当然コーフン。観光よりも鉄分!(実際には台車が同じ形式だからそんなに違いはないはず・・・。

丹後山田に到着。いよいよ加悦鉄道に乗り換え。目指すはキハ10。別のホームに止まっている。国鉄と同じ色だがツートンカラーの肌色の部分が白く塗られている。車内は狭く感じる。それは軽量化の技術が進んでいなく軽くするには、車体のサイズを小さくするしか方法がなかったのだろう。シートはボックスシートなのだが背もたれが直角。そしてビニール張り。もちろんバス窓もしっかり眺める。不愛想な車掌氏から車内補充兼を購入。乗客は地元のオバサンが数人と荷物が少々。鉄道ファンの姿は、なかった。よいよ動き出す。といっても少し加速して30km/h程度の速度。その割にはよく揺れる。レールの長さも10メートル前後の短尺の線路ではなかろうか?途中に止まる駅もボロ屋を通り越して掘っ建て小屋。途中の駅では、交換施設の跡が有り。とにかく沿線の駅はボロかった。というか全く異次元に来た感じがした。だから今の人のレトロ調なんて言葉って今の私にとって全く薄っぺらく感じる。

加悦駅に到着。これで旅の目的は終わったことになる。そこに加悦SLの広場という博物館らしきものがあるので行ってみることにした。博物館といえば聞こえがいいが、単に駅構内を250円払って自由に歩けるようにしてあるだけであった。申し訳程度にタイガーロープとなぜか万国旗が張ってある。今から考えればいいセンスだとおもう(?!)がレジャー気分を盛り上げる(?!)為に貼っているのであろう。蒸気機関車のC57とC58と二号機関車などの古典ロコ。バケットカーのキハ51とキハ101、それからキハ08などのディーゼルカー、あと倉庫代りの木造貨車など見ていたような気がする。

そのあとの記憶がはっきりしない。バスに乗って丹後山田駅までいって急行列車で帰った気がするがよく思い出せない。まあそんなことはどうでもいい。印象に残ったことしか記憶に残らないのだから。

 

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