一枚の切符から・・・。初めての夜行列車。完結

こんなハードなスケジュールにも関わらず京都の自宅に帰るのに名松線と信楽線も立ち寄った。とにかく乗れる路線はすべて乗車するという発想なのだ。今どきの言葉でいうとコスパを上げるため、ではなく鉄道に対するストーカー行為なのだ。とにかく鉄路の音を聞けばよい。ただそれだけなのだ。(いつも旅人さんに言っているのだけどもこの情熱を恋愛とか勉強とかにもっていけば・・・少しは違った人生を送っていたはずだと思う。・・・たぶん)

ここで切符のことを述べなければならない。この当時よく記念用と称して使用する必要がないのに切符をよく購入した。その多くは入場券と車内補充券である。入場券の購入は最初は目的地の駅だけという可愛げのある買い方であったが、そのうちエスカレートしていき10分停車になれば出札口に歩き、エスカレートしていき5分停車になると出札口まで小走り、3分停車になると出札口までダッシュしていた。(他のお客様のメーワクになるのでよい子はマネしないようにW)

車内補充券もよく購入した。でいつも以下のように頼むのである。「あのー記念にしたいので、最低区間の子供用の切符を発行してください。」その額60円。車内補充券とはその名の通り車内で車掌さんに作成してもらう切符だ。今ならば端末を操作して印字するのが普通なのだがこの当時は車掌さんが手書きで発行するか、パンチで打つのが常であった。揺れる走行中の列車のなかで運賃やお釣りなどの計算は手計算。

その当時は、「食事代まで節約して乗らない切符を買ってあげてる。国鉄は、オレにお歳暮とまでは言わないが年賀状位送ってこい」とエラソーなことを思っていたが、今から考えるとたった60円のためによくここまでメンドクサイことをしていただいたと思う。

夜九時に自宅に帰る。両親に泊りがけになったことはお咎めがなかったが夜の天王寺をふらついたことはひどくひどくひどく怒られた。

(おしまい)

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