一枚の切符から・・・。初めての夜行列車。その4
新宮駅では亀山行の普通列車に乗る。旧型客車に乗ったと記憶している。旧型車両とは、ドアが手動で開くことが大きな特徴で昭和61年3月をもって(イベント・事業用を除き)全廃になった。昭和59年はほぼ晩年といってよく紀勢線の新宮以東では昭和60年3月を持って50系に置換られた。(・・・)要するに手動のドアで古い車両で全国的に廃止間近ということである。
後年この区間を何回も乗車することになるのだがこの区間で旧型客車に乗ったのはこれが最初で最後になった。景色や風情に関しては今でも旅人さんに勧めたくなるような素晴らしい路線なのだがこの時の記憶が殆どない。睡眠不足がその原因だろうか?いや違う。その当時の私は景色なんかまったく興味がなく、たぶん一番前の車両に乗り、ディーゼル機関車の排ガスの匂いを嗅ぎながら貫通路から機関車との連結器の隙間の動きを新宮から松坂までエンエンと眺めていたに違いない。(wwww連結器同士は隙間がありブレーキをかける時隙間が縮まり、加速するとき隙間が開くのだ。あと記憶がはっきりしないが長時間の停車ごとに駅でソバを食べていたように思う。今で数が少なくなったががその当時は少し大きな駅に必ず構内にソバ屋があったように思う。タマゴソバとトロロソバとか肉ソバとか天ぷらソバとかの贅沢品を(w)でなければ300円かからずに腹を満たすことができたと思う。ただ正直言ってあまり美味しいとは、思わなかったし食べ盛りの中学生には量も物足りない。だからただ駅弁なんてのはお金持ちが食べるものだと思いこんでいた。ただ列車に乗れればそれでいいということだ。つまり乗り鉄欲>食欲なのだ。
万一、今の知識のままで昭和59年にタイムスリップしていたら荷坂峠の下りの補給制動を体感したり、梅ケ谷駅や大内山駅のたたずまいを楽しんだり、後述する名松線など乗らずに海辺の駅で途中下車して漁港の雰囲気を楽しんだりするだろう。