明治時代の複線用トンネル。

稲枝駅から約500メートルほど神戸よりにある複線用車道トンネル。上部がコンクリで補強しているとはいえレンガのトンネルであることから大正以前に完成したと思われる。この区間(米原ー馬場(現膳所)は東海道本線の最後の開通区間(明治22年)。現代であれば可能だろうが通常強度が保ちにくいという理由で築堤の下に新たなトンネルを掘るということは考えにくい。しかし明治22年の段階でこの程度の道にわざわざ複線用トンネルを掘るというのも不自然だ。 ということでまとめると

1)鉄道開業時に掘られた複線用トンネル・・・しかし明治の中頃にそこまで需要があるか否かかなり疑問。

2)鉄道開通後あとになって大正時代までに掘られたトンネル。しかし築堤の下にトンネルを掘るのは少し不自然。

というお話を実は動画で発表しようと思ったのだが、(しかもネタを作るために延々彦根から稲枝まで4時間歩いたのだが)撮影した動画がほとんど「アー」とか「ウー」とかで終わっているのでここで動画撮影はきっぱりあきらめるか、あるいは修行するかただいま思案中。

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