昔の時刻表。
旅のオールドファンとお話していると、いつも「最近の学生さんは時刻表を読まなくなった。」という話になる。
もちろん時刻表は嵩張るし、スマートフォンも非常に便利だというのはわかる。要領よく目的地にたどり着けるということだけであればこれほど便利なものはないと思う。
スマートフォンが一般化する前、(さして古い話ではない)旅の始まりは計画から始まった。まず時刻表の地図から眺める。目的地に行くまでに移動手段を考える。移動手段というのは、鉄道とか車とかのカテゴリーの話ではない。列車の種別の話なのだ。現在であれば特急と普通だけにまとめられているがこの当時は様々な急行という列車種別があった。また夜行列車もつまり目的地まで行くまでに1)昼行2)夜行を選ぶかという話になり、さらに鈍行/急行/特急を選ぶかという話になる。
なぜか手元に昭和47年4月の時刻表がある。この時刻表を例に米原から富山に行くと仮定しよう。
まず昼行列車から
1)(米原)7:23発 急行くずりゅう1号 9:40分着(金沢)9:50発 急行しらゆき 10:42着(富山)
471系と58系の両方の乗り心地が楽しめる。
2)(米原)8:07発 普通247列車 14:31着(富山)
米原発直江津行の普通客車列車。おそらく35系が中心の編成だと思われる。延々353kmを走る。北陸新幹線が開通した現代ではありえない列車。田村駅でDD50からED70(あるいはEF70)に付け替えはみどころの一つ。ちなみに特急5本、急行1本、特別快速1本に抜かされる・
3)(米原)8:25発 雷鳥1号 11:40着(富山)
この当時は湖西腺はまだ開業しておらず、雷鳥は米原経由でした。この当時は食堂車も連結しておりこれは楽しみの一つになるであろう。
次に夜行列車から
4)(米原)0:13発 普通525列車 6:04着(富山)
大阪発新潟行という普通夜行列車。これも現代から見れば絶対にありえない。ちなみに昭和50年3月の新幹線博多開業時には見当たらない。富山6:04着は時間を有効に使えるいい時間ではないか。
5)(米原)2:05発 急行つるぎ 6:20着(富山)
特急つるぎの方が有名だが、この時は夜行寝台列車であった。おそらく座席車は43系で寝台車は10系だと想像される。米原発が遅すぎるのが問題。
高山線経由で
6) 米原 9:41 急行たかやま 13:16着(高山)13:22 普通827D列車 15:19(富山)
多少時間がかかるが高山線経由でも米原から富山に行くことが可能である。単線で列車同士の交換が楽しめる。
又猪谷で乗り換え神岡線を往復すると18:11に富山に到着する。
いささか個人的な趣味に走りすぎた感があるが時刻表一冊で下手な観光地に行くよりも楽しめる。旅の前段階でこれだけ楽しめ、私の場合5時間程度は平気で楽しめた。