読書会開催宣言!
通常読書とは読み手そのものなかで完結するといってよい。読書とは何か?それは活字という媒体を借りた徹底的なモノローグである。各々の中でテクストのうちに於いてモノローグの極限にまで達し月に吠える行為なのである。
にもかかわらず何故複数の読み手によって構成されている読書会なるものを開催するのか? もちろん新興宗教を立ち上げる訳でもなければ、最大公約的な価値(すなわち金儲け)を見つけ出すものでもない。我々の目的は個々のモノローグの極限から跳躍する機会を共有することである。いうなればモノローグの鎖を噛み切る機会なのだ。それは想起説を唱えたプラトンにおける「メノン」のようなものかもしれないし、初期の実存主義における「暗闇への跳躍」かもしれない。
今回話題にするのは寺山修二の「書を捨てよ街に出よう」
今から約50年前に書かれた書物である。役半世紀前にかかれた評論集であるが、その中でいかに我々と共通項をみいだせるか?あるいは、我々といかに離れているか、またあるいはどのような議論が発生するか?そして最も大切なことであるが我々の心のうちにいかなるダイアローグが発生するかである。